一度だけざっと目を通して、マリアさんは再びフォルテールを弾き始めた。
 初見ということもあり、俺は彼女のすぐ後ろに立って譜面をめくる役を買って出る。
今回はどれだけ失敗するかな、と思っていたが……。意外にも、彼女の指はスムーズに
動き、リズムも崩れることはほとんどなかった。決して難しい曲ではなかったが、簡単
な曲でもない。
 曲を弾き終えた後、彼女は満足げに微笑んだ。

「さっきのは、肩慣らしだったんですね」

 初見でこれだけ弾ければ充分だろうと、俺が思えるレベルだ。それになにより、曲の
特徴の捉え方が上手く、まるでこの曲を作った本人の意図を正確にくみ取っているかの
ような演奏だった。

「たまたま、知ってる曲と似てたから……かな」

 言いながら楽譜を一ページ目まで戻し、マリアさんは主旋律をなぞるようにもう一度
弾き始めた。今度はほとんど楽譜を見つめたままで、小さく鼻歌まで歌い出していた。
それも一通り終わると、うっとりしたような顔で、ため息をつく。

「すごく良い曲ね。それに、歌詞もすてき」

 久しぶりに弾いて疲れたからか、マリアさんは少し休みましょうと言って椅子に深く
腰をかけた。

「やっぱり、フォルテールは楽しいわね」
「毎日弾いてると、嫌になりませんか?」
「ふふ。わかるわ、その気持ち」
「ほんとに? ここでそんなこと言っても、誰も共感してくれなかったんですけどね」
「好きなときに、好きなように弾くのが一番よ。音楽は、無理矢理やらされるものじゃ
ないから」

 でも、それ以外の道がなかった者にとって、その言葉は少し厳しすぎた。

「アーシノは、好きじゃないの? フォルテール」
「……嫌いじゃないですよ」
「歯切れが悪いのね。なら、なにが好きなの?」
「え?」
「好きなこと、あるんでしょう?」

 てっきり、フォルテールを好きじゃないと言ったことについて問いつめられるかと思
ったが……。

「まあ、あるにはありますけど」
「なに? 今度はあなたの話を聞かせてよ」
「俺は……」

 そこで口ごもりそうになったが、隠すようなことでもないと考え直し、正直に言って
みた。

「詩を作るのが好きなんです。楽曲の作詞であったり……自由詩も」
「すごくすてきね」

 彼女の口から、何度と出た言葉。「すてきね」という言葉は、全然嫌みったらしくな
く、本当に彼女がそう思っているのだというのが伝わった。

「良かったら、見せてくれる?」
「一番新しいのなら、その楽譜に」

 まるで、種明かしをするような気分だったが、幸いけなされることもなさそうだ。

「この楽譜? ……ひょっとして、この歌詞を書いたの?」
「そういうことになりますね」

 一気に、彼女の顔が華やいだ。

「すごいじゃない。とても綺麗な詩……曲にもすごくあっているし」
「その曲につけたものですから」
「すごいのね」

 手放しの賞賛を受けるのは、正直なところあまり慣れていないから、思わず照れてし
まう。それを隠すように突き放した言い方をしたが、お構いなしの彼女は続けた。

「すごく、綺麗な言葉」
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